昔は何でもなかったものが見直されている事実は、
和紙にまつわってもいろいろあります。
《こより》も、その一つと言えるかもしれません。
《こより》と言えば
この世にいれば113歳、明治生まれだった祖父を思います。
私の祖父は《こより》を、手慰みにいつも作っていて
キセルの掃除や帳簿を綴じるために使っていました。
指先をちょいと舐め、両手指の交互の捻じりによって紙がヒモになる様は
幼かった私には、魔法のように思えたものです。
私も指先をちょいと舐めて、同じに真似しても全く出来ず。
そして、祖父は《こより》をさらに捻じって四足動物も作ってくれました。
今、思うこと。
祖父流の《こより》の縒り方を、手に覚えておけばよかったと。
縒り方はわかれど、祖父のように細い棒のような仕上がりにはなりません。
細い和紙を手で縒るだけで、丈夫なヒモに。
その縒り終わりの和紙はこよりの証、何でもない物に美しさを感じます。
私の祖父は、着物が日常着で頭は坊主。
自転車も着物の裾をひるがえしながら乗っていて。
おじいちゃん子だった私は、いつも傍にいて。
あれやこれやの興味深い仕草をじっと観察していたのです。
《こより》から、思いがけず祖父を懐かしみました。